4月13日 日本初のテレビドラマ『夕餉前』放送(1940年)(ブルーバックス編集部) - 現代ビジネス
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地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
私たちがふだん見ているテレビドラマ。この始まりは1940年(昭和15年)の今日にさかのぼります。作品は『夕餉前(ゆうげまえ)』(脚本・伊馬鵜平)。放送時間は約12分、母子家庭の兄妹を描くホームドラマでした。
試験放送として、NHK放送技術研究所のスタジオから生放送され、NHKの東京放送会館、愛宕山演奏所スタジオ(現・NHK放送博物館)の「常設テレビ観覧所」、日本橋三越で行われていた「電波展」の会場に設置された受像器でみることができました。

しかし、この裏側にはさまざまな技術的な障壁がありました。
まずテレビカメラの試験として盛り込まれた演出が、2台のカメラによる、女優の顔のアップから引き絵への切り替えです。今では当たり前の技術ですが、当時のカメラではうまく行えず、苦肉の策が「カメラに付いている真空管の電気抵抗をすばやく切り替える」という方法でした。
カメラ自体を直接さわるこの切り替え作業は、急げば急ぐほどカメラが揺れてしまい、撮影には非常に苦心しました。撮影実務を担当した技術者・栗田稔は、後年この時を振り返り「演出意図にマッチする技術を作らないと、視聴者がちゃんと見られる作品は作れない」と語っています。
さらに、大きな問題が、カメラの感度です。感度の低いカメラのために、映画用の5kw照明を2基、3kw照明を4基、さらにボーダーライトは27基点灯し、出演者には1万ルクスの照明が当てられました。
リハーサルが始まると、出演者の顔に塗ったドーランは溶けて流れ、さらには出演者だった野々村潔(岩下志麻の父、1914-2003)のポマードを塗った頭から湯気が! リハーサルを終えた時、野々村の髪の毛はチリチリに焦げ、着ていた服からも煙がでていたそうです。

このままでは出演者が死んでしまう、とあわてたチーフ・ディレクターの川口劉二は「出演者に照明を当てすぎないように」と厳命しました。

照明、カメラの精度を模索し、4月13日、「夕餉前」は放送されました。当日、愛宕山に来るはずの逓信大臣・勝正憲(1879-1957)の到着が遅れたことから、同日再度上演・放送、さらに14日に再上演放送、20日には「輝く技術博覧会」の行われた上野産業会館の受信機にも放送されました。
本日の記事は、こちらの文献を参考にしました!
『紀元2600年のテレビドラマ ブラウン管が映した時代の交差点』
森田 創 著 講談社 刊
昭和15年4月に無線で放送されたテレビドラマ『夕餉前』は、原泉子、岩下志麻の父・野々村潔、寺尾聡の母・関志保子が出演、照明1万ルクス、灼熱のスタジオで髪が燃えたというエピソードが残った。10月の第2作『謡と代用品』には、天才子役だった中村メイコがカメラの前に立った。世界初の技術でブラウン管に映像を映した高柳健次郎の奮闘など、戦前のテレビ開発に賭けた人びとの夢を追うノンフィクション。 Amazon(Kindle)はこちら
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April 13, 2020 at 04:00AM
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