落語の「20世紀最後の名人」とテレビ初仕事 脳裏をよぎった苦い記憶 - 西日本新聞
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放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(42)
連日、暑いですね。読者の皆さん、お変わりございませんか。こんなときはちょっとぜいたくして、避暑地でゆっくりしたいものですね。九州でいえば大分の湯布院あたりでしょうか。由布岳の山肌から麓の温泉地にそれはそれは心地よい風が吹き抜けます。久しぶりに行ってみたいなあ。
で、以前、その湯布院で仕事をすることがありました。1994年2月。作家山口瞳さんをご存じでしょうか。直木賞作家にして、その選考委員になった名文家。著書に全国の店を巡った「行きつけの店」というエッセーがあります。その作品をテレビ東京が映像化し、春の特番として放送することになり、制作会社のプロデューサーから番組構成とナレーション原稿を頼まれました。
東京銀座、京都祇園、北海道小樽、湯布院などで著者とゆかりのある人と静かに語り合ったり、店によっては映像とナレーションだけにしたり、大人の内容を求められました。祇園は歌舞伎俳優の中村橋之助(現中村芝翫(しかん))、三田寛子夫妻、小樽は脚本家の倉本聡さんと山口さん本人に出演していただきました。私が同行した湯布院は、山口さんと番組のナレーションを担当した落語家の古今亭志ん朝さんにお願いしました。
当時、笑いの台本を書いていたけれど落語には明るくありません。それでも「20世紀最後の名人」と称された志ん朝さんはそれなりに知っていました。父は「昭和の大名人」の古今亭志ん生、兄は落語協会副会長を務めた金原亭馬生。毛並みの良さと実力は超一級。
どこで会っても緊張する相手なのに、ロケ当日まで打ち合わせができず、初対面の場所は何とJR博多駅の新幹線ホーム。湯布院をロケハンして博多駅に戻り、私たちスタッフは志ん朝さんを待ちました。
当時40歳。放送作家として脂が乗った私は数多くの芸能人と仕事をしました。中にはテレビ画面とは違い、終始不機嫌な方がいて、やりづらいこともありました。例えば立川談志さん。担当した番組の収録直前に「やりたくねぇ」と言い出して困った経験もしていました。同じ噺家(はなしか)さんだから、またあるかもと身構えていました。
いよいよ新幹線のドアが開き、志ん朝さんがホームに降りてきました。あいさつもそこそこに、私が肩から下げていた物に目を留めました。「おっ、それ、ライカじゃないですか」。名人は柔和な表情でした。
(聞き手は西日本新聞・山上武雄)
………………
海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年08月05日時点のものです
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